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由緒

昔は法眼庵と称し、庵城山麓に在りし小院なれど、
海濤の為大破荒廃 享保年間 僧幽巌遊修の為、
此の地に到り、法眼庵並びに堂ヶ島走嶋山長平寺の荒廃を嘆き、再興の志を振い二院を合併して正島山法眼寺と改称す。

【訳】かつては仁科の安城山麓にあった法眼庵という小さな庵でしたが、海濤により大破、荒廃しました。 享保年間にこの地を修行で通りかかった僧・幽厳が法眼庵と堂ヶ島の走嶋山長平寺の荒廃を嘆き、二院を合併して正島山法眼寺としました。

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